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| Nov. 14 1999 |
鷹狩への情熱
部屋の中でタカを腕に止らせた松原さん。訓練には気の遠くなるような長い時間がかかります=朝日村田麦俣で 99年11月14日 気温:5度 天気:曇り 風向き:北西
出発地:東田川郡朝日村にある道の駅「月山」=北緯38度35分19秒/東経139度52分 27秒
到着地:東田川郡朝日村田麦俣(たむぎまた=北緯39度33分28秒/東経139度56分34秒
歩いた距離:6km今回の旅の中で、自然との関係を見出そうとして、それぞれの道を歩んでいる人に出会ってきました。その中でも、今日であった松原さんは特に際立つ人でした。松原さんは、現在では数少ない日本の鷹匠(たかじょう)の一人と言われている人で、生涯をかけて熱心に自然との関わり方を追求してきた人だと思います。
「鷹狩(たかがり)」は、日本では1600年くらいの歴史があるといわれ、この頭のいい肉食性の鳥を使い、ノウサギやイタチ、テン、リス、キツネなどの狩りに用いられていたそうです。鷹匠はタカを連れて山の尾根を歩き回りながら獲物のいそうな場所を探します。ひとたびタカが獲物がいるのを感じ取ると、とっさに鷹匠はこの大きな鳥を手元から放ち、時には谷間にまで獲物を追わせます。えものを捕まえると、タカは、主人にほうびのえさをもらうまで獲物をおさえています。
長い間続いていた鷹狩は、明治時代(1868)に入って間もないころから徐々に行われないようになりました。
鷹狩の収入が極めて不安定であることや、環境や動物の保護が厳しく求められるようになったこと、さらには訓練そのものが大変厳しいことなどを十分に理解した上で、松原さんは鷹匠になるという一大決心をしたのです。
岩手県の山の中に住んでいた松原さんが、思い切っそう決めたのにはそれなりのきっかけがありました。
タカを腕に山を歩くことも松原さんとタカにとって重要な訓練です=朝日村田麦俣で 「私は岩手県の山の中にある農村で暮らしていたのですが、そこでの生活にあきたらないでいました。私には、完全に自給自足の生活をしてみたいという夢があったのです。ところがその村の人たちは、たいがい、冬になると都会へ出て働いていたんです。私は、なんとか一年中を自然の中で自然と共に生活できるような、いい方法がないかと探していました。そんな時、ふと以前見た鷹匠のビデオのことを思い出したのです。私はもともと動物が好きです。自然の中に身を置いているのが大好きなんです。狩りのシーズンは冬です。ですから、春、夏、秋の季節は農業をして、冬の間はずーっと狩りをしていればいいわけです。鷹狩はどうやら私に向いているようです。動物を使って動物を捕まえる、これは、最高でした」。
こうして、松原さんは鷹匠になる決心をしました。松原さんにとって人生最大の挑戦となる鷹匠への転身はを決意するのは簡単でしたが、実現するには長い年月がかかりました。
食物連鎖の頂上に立つタカはキツネを捕らえることもできる=朝日村田麦俣で 「弟子にしてもらうために、長い間師匠の家の近くに寝泊まりしました」と松原さんは話してくれました。「ある日のこと師匠に呼ばれ今のご時世は、鷹匠で食べていけるような時代じゃないよといわれました。それは私にもよく分かっていました。でも、後戻りするつもりは全くなかったんです」と松原さんはいいます。師匠の家の近くに寝泊まりしながら、師匠のところに毎日足を運ぶ日が続きました。「親方に言ったんですよ。『もし弟子にしてもらえなくても、親方のところへ私は毎日通わせていただきます。そうして自分なりに学ぶつもりです』。7回も断られましたが、8回目にようやく弟子入りのお許しが出たんです」と松原さんはいいました。
鷹狩の修業はそれはきびしいもので、「たった90分で誰でもマスターできます」といういまどきの学習用のビデオテープのお勉強とはぜんぜん違っていたようです。「初めて獲物を捕まえるまでに、修業を始めてから4年半かかりました」と、松原さんは穏やかな声で語ってくれました。
「自分の腕から飛び立ったタカが初めて獲物を捕まえた時の感激は、本人じゃないと分からないだろうね。まるで、その時のためだけに自分は生まれてきたんだとさえ思いました。それは、私の人生で一番幸福な瞬間でした。世界一の幸せ者だとも思いましたよ。その喜びに比べると、それまでの修業の苦労なんて、全くとるにたらないささいなことにしか思えませんでした」と、松原さんはその幸福感をくりかえし味わっているかのように話してくれました。それを聞いていた私までが幸せな気分になったものです。
タカは、年を追うごとに松原さんに慣れ、腕にとまったままで4メートルを越す雪の中を歩いて進むこともできるようになりました。そこまで来るには長い長い時間をかけなければならず、際限のないほどの忍耐を必要としました。しかし、そのことこそが、松原さんが理想とする、自然と溶けあうような関係に自分を導くもとになったのです。
気がつくと、私がお世話になったあいだ中、松原さんは朝晩何時間でも、この雄々しい姿をしたタカをずーっと自分の腕に休ませたままで過ごしていました。「冬に入ったら、暗い中でも私に慣れるようにしなければなりません。そうしてから、昼間ずっと外でタカと一緒にいるようにしているのです」と松原さんは話してくれましたが、暗い中でタカを腕にして部屋にいる松原さんの姿を見ていると、二つの影が見事に溶け合い、まるで一つのものになっているように思えました。狩に出ると、松原さんとタカは数日をかけて山を歩き続け、夜は雪の穴で過ごします。もちろん片時も離れることはありません。
お別れする前に、松原さんは私たちWSNにいくつかのアドバイスをしてくれました。
「情熱を持って、情熱に忠実に行動して欲しいです。そのために豊かと思っている生活を失うことになっても、それを恐れないでください。いろいろと困難にぶつかることがあるだろうけど、それを乗り越えてこそ今までにない喜びと満足が初めて自分のものになるのです。夢を追おうとすると、きっとかべに突き当たることもあるでしょう。でも、一度それを乗り越えさえすれば、それまではできないだろうと思えたことでも立派にやりとげられるようになっていることがわかるはずです」。そんな言葉を耳にしながら、松原さんのような情熱をもった人がいなくなったら、鷹匠という職業は、いつかなくなってしまうだろうと思いました。
私は、松原さんの自らの決意を守った情熱と、自然との関わりを大切にする独特の生き方に深い感銘を受けました。松原さんの言葉を実践できるように、また、どのように自分と自然の関わりを保つのがいいのかを探し求めるこの旅を、私自身の情熱に従って続けて行きたいと思いを新たにしました。
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