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| Dec. 2 1999 |
小国町の食文化
小国の食文化の歴史を話してくれるふたりの斎藤さん=小国町五味沢 99年12月2日 気温:3度 天気:雨 風向き:北西
現在地:北緯38度03分42秒/東経139度45分33秒
歩いた距離:0km日本の食文化はこの数十年の間でどれくらい変わったでしょうか。「360度変わりましたね」と斎藤美里子さんはいいます。日本の山あいの村の豊かな食文化には、長くきびしい歴史があります。今日一日、食生活の厳しさとその中から小国の人たちがうみだした工夫について学びました。
小国町が作り経営しているリフレという公営の宿の畳の部屋で、小国町役場の阿部さんと地元の斎藤美里子と斎藤美代枝というおばあさん二人が山あいの小さな村の食文化がどのように変化してきたか話してくれました。「私の子供時代と比べると、食文化はすっかり変わりました」と70代のおばあさんたちはいいます。「食べ物を店で買ったり、輸入するようになったのは、経済の急成長の後になってですよ。その前はずっと、自分で作るか、野山や海や川などの自然から取ってきたのです」というのです。
長年の工夫と改良が作り出した豊富な漬物の種類 元気のいい二人のおばあさんは自分たちがそだった戦争の間や戦後の小国の生活について話してくれました。「食べ物を買うなんて、珍しいことでした。魚もめったに食べられませんでしたね。戦争中は特に大変でした」と美代枝おばあちゃんはいいます。
「私の家は貧しくて、兄弟姉妹が15人もいたんです。お腹いっぱい食べられることはあまりなかったんです」。美里子おばあさんは言葉につまりながら話してくれました。大きなため息をついて涙をがまんしているみたいでした。「私の母は偉かったんです。お金や食べ物が充分なくても、なんとか子供たちに食べさせてくれました。母がどんなに食べ物を無駄にしないように大切に扱っていたか、今思い出しても感心します。母の苦労を思い出すと、かわいそうに思えて仕方ありません。今の生活は快適すぎるとよく思います」。田畑で長時間働かなければならないのに、食べ物が足らないのが普通という生活の中で育った二人はどんなにお腹がすいたか話してくれました。
斎藤さんたちの体験を聞くことがどんなに大切かと阿部さんは強調しました。
「自分が住んでいる山あいの村の食文化がどういうところから始まったのか知ることが重要です」と、阿部さんは真剣に静かな声でいいました。「縄文時代(1万年前〜紀元前4世紀ごろ)からつい最近まで、日本は狩猟収集文化でした。大陸から稲作が伝わり、山あいの村に住む人々は米作りに加えて、多くの山菜と野菜の漬物で食料を補ってきました。私たちの住む山あいの村の昔は幸せいっぱいだったといえませんが、山間部で手に入る限られた食材によって生活していく優れた工夫をたくさん創造しました」といいました。
「あずきのぼし」をとる阿部さん。あずきのぼしはもち米に山菜をいれて作った 料理です。もち米は特別のごちそうでした。 それではいったい何をどうやって食べていたのでしょう。美代枝おばあさんと美里子おばあさんは山菜あつめの技とゼンマイの下ごしらえの方法を教えてくれました。山の急斜面に生えるゼンマイを集めるのは決して簡単なことではありません。男性たちがこの役をします。彼らは春の一日で40から50kgのゼンマイを集めてきます(僕が担いでいる大きなリュックサックに二杯分ぐらいとれるんだそうです)。集めたからといって仕事が終わったわけではありません。ゼンマイは生では食べられません。「ただゆでればいいわけでもないんですよ」と美里子おばあさんはいいます 。
「柔らかくておいしいゼンマイにするには、まず綿(毛の生えた部分)をとり、熱湯にいれます。そして時々もみながら日に干すんです。干し上がったら水で戻します。そうすれば、おいしいゼンマイ料理になります」。春に集めて干したゼンマイは小国の伝統的な冬に備える食材でした。漬物にしたり、汁に入れたり、おひたしにしたり、煮物にしたりしました。着々と準備し、それほどいろいろな調理方法が考えられるので、なんとか長く厳しい冬を乗り切ることができるのです。
話をしている間に、おばあさんたちは色々な漬物をきれいに盛り付けた皿を食卓の上に並べました。白菜のビールづけ、つぶしたカキの中につけた大根、紅花づけ、ウリとキュウリの酒粕づけ、赤カブづけなどがありました。日本に住んでもう5年になりますが、こんなに色々な漬物を一度に見たことはありませんでした。大根でこんなにたくさんの種類の漬物ができると考えたこともありませんでした。
「昔は毎日同じものを食べていたものです」と安部さんはいいます。たまにあるお祝いや催しを除いては一年中ほとんど同じものを食べていたのだそうです。食料が不足していたころは小国に限らず、日本中の山あいの村では人々が食材を手に入れ、それをどのように料理するかということに、さまざまの工夫と改良を加えていったのでした。
山あいの村の食文化を作り出した工夫や改良のもとは、長年の厳しい暮らしからうまれた必然であったのですが、安部さんやおばあさんたちが懐かしそうに話してくれた時代は過ぎ去っていきました。阿部さんは最後にこういいました。「現在の日本は食料の60パーセントを外国に頼っています。しかしこれは最近の現象で、このままでやっていけるかどうかは疑問です。私たちの伝統や知識を伝え、役立てていくことが重要だと考えます」。
おばあさんたちは戦争中と戦後の食料難の厳しい時代が過ぎさったことを喜んでいるといいました。二人は伝統的な料理の技を今も伝え続けていますが、将来の日本の食文化はいったいどうなることだろうと考えています。
皆さんは自分たちの食文化の未来はどうなると思いますか。
グレッグ
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