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| Dec. 16 1999 |
縄文時代の文化
「火焔型土器」=十日町市博物館で 99年12月16日 気温:2度 天気:雪 風向き:西
出発地:広神村清本=北緯37度36分32秒/東経138度59分32秒
到着地:大和町浦佐駅=北緯37度10分03秒/東経138度55分25秒
歩いた距離17.5km縄文時代(13,000年前から紀元前4世紀ごろ)の文化について教わるために十日町に来ています。きのうは十日町小学校と枯木又分校の子どもたちと一緒に過ごしました。子どもたちは最近国の文化財に指定された火焔型土器(ほのおの形をした土器)について勉強しているそうです。
何日も雪の中を歩いた後で、太陽の光の中を東京をめざして歩くのはとてもいい気持ちでした。太陽と自動車の熱が道路の雪を溶かしています。森の木の枝からも湿った雪が、どさっと音を立てて地面に落ちてきます。広神村から出たばかりのところで、「東京まで242キロ」という標識をみました。242キロなんて、もうすぐのように思えます。
6年生の女の子が、土器の縁につけたヘビの頭のような形の飾りに息を吹きこんでみせてくれました。縄文時代の土器に似せて自分でつくったのです。「なにかの儀式に使う土器だと思ってつくりました。何人ものおじいさんたちが土器から食べたのかもしれません。食べたり飲んだりが終わったら、一番年とったおじいさんが食べ物に感謝して、この縁についている笛を吹いたかもしれません」といいました。
もうひとりは「小さい円の形をつくるのはとてもむづかしかったです」といいます。またほかの子が「縄文時代のくらしはとても大変だったと思います」といいました。自分たちの手で土器をつくってみただけではなくて、さまざまな形や大きさの土器をみつけ、それがどういう使われ方をしていたのか調べました。縄文時代のことをもっと知るために、十日町市博物館に行って、佐野さんという人のお話しを聞きました。
博物館に行くと、佐野さんは十日町とその回りの地域の立体模型で笹山遺跡の場所を教えてくれました。
縄文時代を想像して作った土器のふちにつけたヘビの笛をふく6年生=十日町小学校で 「ここで、火焔型土器をはじめ縄文時代の文化の跡がみつかりました」。十日町は津南町から長岡市にかけての信濃川の流れにそって広がります。この地域では4,000年から5,000年前頃に、とても洗練された土器がつくられていました、と佐野さんは説明してくれます。
「縄文時代の人たちが、いろいろな種類の木の実から渋みや苦味をとってたべる方法を発見してから、人口が増え、文化が発達しました。火焔型土器もそのひとつなのです」。縁にそってほのおの形の飾りを持った土器はまるで燃えているようにみえます。一説では儀式用の土器だと考えられているそうです。こんなに美しい芸術品のような土器をつくった人たちはどういうことを考えていたのだろうと僕は思いました。
千キロ以上を歩いてきた僕にとっては、242キロはもうちょっととしか思えません=山都町 17号線 最後に佐野さんは「縄文時代の一番すごいところは一万年以上も続いたということです」といいました。そして、その理由は縄文時代の人たちが狩りや、魚釣りや食べ物を集めるのが上手で、着るものや、暑さ寒さから身を守るすみかの工夫がすぐれていたからだといいます。「縄文時代の人は、自然を破壊しないでうまく利用してくらしていたので、歴史の中でもとても安定した時代だったんです」
アメリカの国としての短い歴史や、かなり長い日本の文字に残された歴史について、僕は考えました。どっちも、縄文時代の長い歴史にはかないません。私たちの祖先から学ぶことができれば、将来は縄文ぐらい長い時代が生まれるかもしれません。
僕たちは、縄文文化と同じように長く続くことができる暮らし方を作り出すことができでしょうか。
グレッグ
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