知恵だより 102号

Dec. 23 1999

カイコと環境

地元で養蚕業をしている下田さんは、新しい発見を期待していると話しています

99年12月23日 気温:-2度 天気:晴れ時々曇り 風向き:東
出発地:勢多郡赤城村溝呂木(みぞろぎ)=北緯36度31分12秒/東経139度03分19秒
到着地:勢多郡富士見村畜産試験場=北緯36度27分57秒/東経139度06分18秒
歩いた距離:9.4km

 人間は、自分が住んでいる場所に一番あった方法でそれぞれ暮らしてきたんだなあ、なんてことを、実感したことがありますか。

 今日僕は群馬県の北部にある赤城山のふもとを歩きながら、どうやって人々が過去暮らしを立ててきたか、どうやて今どうやって暮らしているか、そして暮らしの変化が暮らしにどんな影響を与えたかを知ったのです。さらに、この先どうして暮らしていくのかという意見も、いくつか聞くことができました。

 何人もの親切な人たちに教えられて、新潟県に接する群馬県の人たちがこれまでどうやって暮らしてきたのか、わかりました。

 冬、群馬県では、山の向こうの新潟県のような雪は降りません。湿気は雪となって新潟側に降り、こちら側には、からっ風と寒さがやってきます。群馬の高地はコメ作りには向きません。その風土は、カイコを飼う養蚕(ようさん)、こんにゃく、そして小麦粉作りを発達させました。この三つの産業はいずれも、冬に風が強くて気温が下がり、夏は蒸し暑いという気候にむいているのです。それも、経済の変化に合わせて、変わりつつあります。

 特に養蚕業の変化は人と自然との関わり方がどのように変わったかを、はっきり教えてくれます。地元の養蚕農家の下田さんは、「このあたりでコメを作るのが難しかった頃は、山の斜面にはいっぱいクワの木がはえていました。クワの木は山のためにいいんです。そして、そのクワの木を元に、養蚕が盛んになったんです」といいます。

農業の変化について地元の人に話を聞きました

 「20年くらい前まで、このあたりの家のほとんどが養蚕に頼って生活していました。ところが、中国からはいってくる安い値段の絹や、人工繊維にとって代られて、日本の絹は大きな打撃を受けました。野菜作りが暮らしの支えになってきたのです」と下田さんはいいます。

 「昔はクワの木が山を守っていたんですが、養蚕から野菜作りにきりかえる家族が増えたのです。大きな市場である東京に近いからです。しかし、群馬県独特の強風と雨の多さが、最近被害を出すようになりました。強風が畑の土を吹き飛ばし、さらに夏の雨が土を運び去ってしまうのです。ひどいときには、畑の土が道路をふさいだりするのです。

 養蚕業が大きく変わったのはこの2、30年のことです。下田さんは養蚕業がなくなってしまわないよう一生懸命努力しています。「県は長い歴史と結び付いた特産品として、絹の産業を支えようとしています。それも一つの考えです。しかし、私は絹とカイコにもっと新しい利用方法があると期待しているのです。何人もの研究者たちが、カイコに薬の効果があることを発見していますし、他の利用方法を研究している人たちもいます」と下田さんはいいます。

 日本の色々な地方を歩いてきて、各々の地方がその風土にあった産業を発展させてきたことにいつも驚かされます。しかし、そんな産業が、環境への影響を計算にいれない今の経済システムに、おびやかされているように思えます。

 みなさんは地域の環境にあった産業を作り出すことがたいせつだと考えますか。そういう例を知っていますか。

 グレッグ

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